ひきこもりでいることのメリットとデメリットを解説するよ!
こんにちは!ヒッキーです!
皆さんは一人の時間好きですか?
ひきこもりを経験した自分としては、その良い面も悪い面もたくさん感じてきました。
今回はひきこもりのメリットとデメリットを解説していきたいと思います!
- 良い点① 人に干渉されない
- 良い点② 自分自身と向き合うことが出来る
- 悪い点① 落ち込みやすくなる
- 悪い点② 人と接触しないので、自分の立ち位置がわからない
- 悪い点③ 罪悪感を感じる(お金や生活を他に頼っている場合は)
- まとめ:ひきこもりは必ずしも悪いことばかりではない!冷静に今できること、できないことを見極めよう!
良い点① 人に干渉されない
まあなんといってもこれですよね!
人から干渉されないので、ストレスが溜まりづらいです。
何時に起きても誰にも何も言われないし、何をやっていても何も言われません。
恥ずかしながら僕も一時、家で引きこもってYoutubeやテレビばかり観るみたいな生活をしていた時期がありました、、、
サッカー観戦が好きなので、昔のサッカーの動画を漁ってみてたりしました。
こんなダメなことをしていても何も言われない。。。
ひきこもり最高ーーーっっっ!
良い点② 自分自身と向き合うことが出来る
干渉されない分、きっちりと自分と向き合う時間が増えます。
自分と向き合って、自分は何がしたいのか?どうやって生きていきたいのかを考えることが出来るということです。
実際に社会の中で生活していると、やるべきことに追われ、自分の現在を振り返る時間は意外と少ないものです。
一度まとめて自分を振り返る、自分のやるべきことに集中して取り組むというのは長い人生100年時代の現在、大きい価値を持っています。
悪い点① 落ち込みやすくなる
一人でいるということは自分の世界に入るということでもあるので、当然元々ネガティブな人は落ち込みやすくなります。
人間一人と言えども生活していると、やっぱり何かしらの経験はするわけです。
「こんな動画を見た」「お風呂に入っていたらこんなアイデアを思いついた」とかね。
人間は共感したい生き物なので、どうしてもそういったことを誰かに伝えたくなるんです。
話す相手がいないというのは結構辛いものです。
どうしても塞ぎ込んで、寂しい気持ちになって来ます。。。(←実体験)
悪い点② 人と接触しないので、自分の立ち位置がわからない
これは本当に感じるのですが、自分一人でいると、社会の中での自分の立ち位置とか、さっぱりわからなくなるんですよ。
いざ人と会った時に、「あれ、この人とどういう距離感で話せばいいんだっけ?」みたいなことが頻繁に起きます。
そうすると、人と会う時に否定的な感情が起きたりする確率が増えるので、あまり余計に人に会わない期間が長くなる、ということはありがちだと思います。
自分で勝手に自分は嫌われてると考えるとかね。
それと、自分一人だけ社会(他の人間)と関係を絶ってしまうということは、何者でもないということで、それはそれで意外と不安になってくるものなのです。
これは人の本能なのかもしれませんが、結局は社会に出てある程度は人との関係を持ちたいと思うものなのだと思います。(少なくとも僕の場合は)
(逆に言うと、人は生きていく限り、人との関係に縛られるということでもあるかと)
悪い点③ 罪悪感を感じる(お金や生活を他に頼っている場合は)
これは状況にもよると思いますが、やはり働かないもしくは学校に行かないで家にいることには、多くの人が否定的な感情を持ってしまうと思います。
これは絶対的な悪ではない、たまにはこういうことも仕方ないんだと頭ではわかっていても、どうしても「いけないことをしている」「他人に迷惑をかけている」と感じてしまうはずです。
ひきこもりをする人にはどうしても繊細なタイプの人が多いと思うので、こういったことに負い目を感じて、ますます人との接触を絶ってしまうケースが多いのではないかと思います。(←僕もこういう時ありました)
まとめ:ひきこもりは必ずしも悪いことばかりではない!冷静に今できること、できないことを見極めよう!
こうしてまとめてみると、必ずしも悪いことばかりではないことにすぐに気づくと思います。
ひきこもっていると辛いので、どうしても感情的に何かを責めがちになりますが、一つ冷静に今の状況を見て、出来ることから始めてみるのがオススメです。
そもそもひきこもりってそんなに悪いことじゃないし!
むしろみんな1回ひきこもってみた方がいいんじゃない?
その方がちゃんと地に足つけて生きれるでしょ!
自意識過剰を克服しよう!自分を客観的に見れてる?
こんにちは!ヒッキーです!
普段生活していると、もう少し自分を客観的に見れたらなあと思うことがいっぱいあると思います。
僕は気が小さいタイプの人間なので、本当に人目を気にしてしまうんですよね。。。
なんならハンバーガーを食べるだけでも変な食べ方をしてないか、人に笑われる!と気になってしまうレベルです(←結構ヤバいよね)
小学生の頃に至っては、出席確認の自分の名前の時に「はい!」も言えないという、、、(目立ちたくない)
最近それが克服出来つつあるので、その方法を皆さんに紹介したいと思います!
自分を他人目線で見てみる
daigoさんが説明しているように、実際には人は他人のことをそんなに見ていないものです。
僕もそのことは頭ではわかっていたのですが、いざその場面になるとどうにもならないところがありました。
誰も見ていないとわかっていても、気づくと「誰か見てるんじゃないか、変なことしないようにしなくちゃ」と縮こまってしまう。
自分のどうしようもなさに自己嫌悪してしまうことも多かったです。
......
しかし、です。
そこで視点を少し変えてみましょう、、、つまりは、
自分を友人Aだと思ってみてください!
自分だったら、他人に対してそんなに厳しい目で見るだろうか?と。
そうすると、びっくりするくらい自分が自分に対して厳しく、人に甘く接しているかがわかると思います。
人は自分自身のことを正確に見ることができない
そもそも、人は自分自身のことが一番正確に見れないものです。
四六時中一緒に居る人間であるのにも関わらず、自分のこととなるとさっぱり主観が入りまくった、わけのわからない自己像が出来上がってしまっているものです。
自分のことを考えると色々な感情や願望が邪魔をして、どうしても客観的には見れないんですよね。
僕もずーっともっと格好良くありたいとか、しっかりした大人でありたいとか、そういった願望があったものだから、そういう自分であろうとして、常に背伸びをしていました。
これを視点を変えることで、脳をうまい具合に騙すことができるんです。
人間他人の事って本当によく見れますからね!
自分を客観的に見ることで、自分を良い方向に導ける
もう一つ昔からやってみるといいと思っているのが、自分の言動を動画で記録しておくことです。
先ほど言ったように、人は自分のことを客観的に捉えるのが苦手です。
でも、自分が人を見るときにはこの人好きだな、嫌いだなという感覚は当然あると思います。
つまり、人には自分の言動がすごい嫌な奴のソレに見えている可能性もある、ということです。
ほら、たまに自分の声とか録音して聞いてみるとすごいびっくりするじゃないですか。
あんな感じです。。。
僕も一度試しに自分の会話を録音してみたことがあったのですが、すごく嫌な奴でびびりました、、、
人の目を気にする必要はないとはいえ、損をするのは勿体無いので、こういった方法で自分を見直してみるのはアリなんじゃないかと思います。
【シャイな人対象】自分語りのススメ!
こんにちは!ヒッキーです!
僕は普段の活動柄、人の話を聞く側に回ることが多いのですが、最近自分が語るという体験をしたので、その時感じた事をシェアできればと思います。
自分の事を語るのって難しい
そもそも自分の事を語るのって、信頼し合っている人相手でもない限り、結構難しいものです。
日本人は特に自分の意見を言うことに慣れていないので、どうしても自分を相手に伝えることに苦手意識がある人は多いと思います。
特に内向的で繊細なタイプの人はそうだと思うのですが、自分の話をしても興味ないんじゃないだろうかとか、こんな話つまんないんじゃないかとか、思ってしまうと思うんですよね。
しかもあまり親しくない相手の場合は、内容をきちんと組み立てて話さなきゃとか、ストーリーとして語るということを意識しますよね?(←結構面倒臭い)
こういったこともあり、自分の話をするというのは、とても難しいことなんです。
僕もその場面になった時、どうやって語ろうか?どこから始めてどうまとめようか?こんな話をして相手は聞いてくれるだろうか?いろんな不安がよぎりました。
自己開示には勇気が要る
何より難しいのは、自分を相手にさらし出す勇気が必要というところです。
どうしても相手によく見られたいとか嫌われたくない気持ちが出てきて、少し真実とは違うことを言ってしまったりしますからね。
僕も話しながら、これは言っていいのか?あれは大丈夫か?などと考えていたので、少し疲れてしまいました。
語ってみると、自分に対して新たな発見ができる
その時も自分の不登校体験に関して着地点もわからずに話し始めたのですが、見切り発車で話し始めてみると、段々と自分の中で一つのストーリーが出来上がってくることがあります。
というのは、、、
- 人に話すことでそのことについて必死に考える
- 人から反応が返ってくることで、そのことに対して新たな視点を持つことができて、物事をより立体的に見ることができる
と言うことだと思います。
これを繰り返していくと、自分の中でその体験に対して新たな意味を持たせることが出来るようになっていくのだと思います。
結局、一番大事なのは『聞くこと』だよね
と、ここまで語るということに関して語ってきましたが、結局重要なのは『聞くこと』だとも思います。
目の前にいる相手に対してどれだけ興味を持てるか?どう言う人生を辿り、どう言う気持ちで、今ここに彼はいるのか?想像してみることだと思います。
この間自分のことを話した時、聞き役になってくれた方がいらしたのですが、その方は自然に相槌を打ってくれるんですね。
話し手が変に気を遣わなくていい、きちんと聞いているということは伝わるんだけれども、変に前のめりでない、こちらの話が広がるような相槌を自然に入れてくる。
そういった力があればこそ、周りの人に安心して語ってもらえるような人間になれるのかな、と。
まとめ:自分を語るのが難しいのは最初だけ
ということでまとめです。
話すことができるようになると、、、
- 自分の気持ち・考えをきちんと他人に伝えることができるようになる
- 語ってみると、自分に対して新たな見方をすることができるようになる
という話でした!
きっと、語るときに難しいと感じるのは最初だけで、繰り返していると耐性がついていくのだろうなあと。
何回もやっていれば当然慣れてきて、ある程度スキルのようなものもついていくのだと思います。
あとはやっぱり、自分が聞く側としての力も持っておくことですね。
自分が聞いてもらいたいなら、まずは自分が聞く側に回ること。
何をするにしても忘れてはいけない基本だと思います。
【発信するって】ブログを続けるのがしんどくなる理由はズバリこれだ‼︎【難しいね】
こんにちは!ヒッキーです!
全然ブログが続かない今日この頃です。。。
自分なりにその原因と対策をまとめてみましたので、興味ある方はどうぞ。
ブログが続かない理由①結果が出るのに時間が掛かる
ブログは立ち上げる事業としては素晴らしくコスパの良いものだと思っています。
何しろ始めるのに初期投資もいらないし、維持費もほとんどかかりません。
とにかく誰でもリスクを背負わずにすっと始められるのが最大の長所だと思います。
しかしブログの最大の欠点は、とにかく結果が出るまでに時間が掛かることです。
(この場合の結果は、=お金のことです)
ブログはストック型のコンテンツなので、記事数が増えれば増えるほど1つの記事がブログへの玄関口になったり、一度ブログを見てくれればそこから他の記事へアクセスしてくれたりして、ブログの中をぐるぐると周回してくれるようになったりと、どんどん指数関数的に伸びていきます(というより、そう願っている、、、)
この数字が伸びていくのには諸説ありますが、最低でも半年はかかるというのが定説のようです。
具体的には、半年間毎日1記事書くぐらいやらないと難しいようですね。
ブログが続かない理由②実際に他の人に何らかの影響を与えているのかわからない
ブログを書くモチベーションの一つには、自分の発信を通じて他人に何かを伝えたい、話したいという欲求が挙げられると思います。
ところがコツコツとブログを書いていても、絶望的に読まれないんですよねこれが。。。
そりゃあどこの誰とも知らない素人の作文なんて誰も読まないですよね!
反応がないと、どうしても不安になってきます。
このまま書いていても誰にも影響を与えられないんじゃないか?自分が書く意味はあるんだろうか?そもそも自分の人生がつまらないから、、、
ああ、ネガティブスパイラル!
結論:結局試行錯誤し続けるしかない
そうやってネガティブになるのは、長い時間があれば人間なので仕方のないことなのかもしれません。
しかし、そこであきらめないバカだけが生き残っていくのだとも思います。
最初に言ったようにブログはストック型のビジネスで、初期投資がほとんど要りません。
始める時点で借金をする必要もないし、赤字にもならない。
そういう環境で生き残っていくのは、他のビジネスに比べたら実は結構イージーゲームではないでしょうか?
一生懸命続けていき、後はその度に改善する努力を怠らなければ、必ずいつかは成功するはずです!(いつかはね)
以上、ブログが続かずに困っているヒッキーがお伝えしました。
【衝撃】早生まれのスポーツ選手の数はかなり少ないらしい
こんにちは!ヒッキーです!
先日こんな記事を見つけたので、、、
マジですか、、、
なんとなく子供の頃から不利なんじゃないかと思ってはいましたが、こうしてデータでみると雲泥の差がありますね。
「早生まれは損」とされてきた根拠の一つが、プロスポーツ界にある厳然とした事実。プロ野球やJリーグ選手には、4~6月生まれが圧倒的に多い。
今回、研究成果を米科学誌に発表した奈良女子大(奈良市)の中田大貴准教授(スポーツ科学)によると、4~6月生まれのJリーグ選手は全体の34・7%で、プロ野球選手も32・8%。一方、1~3月の「早生まれ」選手はJリーグで14・6%、プロ野球も14・2%にとどまっている。
このデータを見ると、4〜6月生まれと早生まれを比較すると、倍以上の差が出ていることになります。
ここまでくるとこれは安易に見過ごしていい問題ではないように思います。
このせいで本来あったはずの才能が眠っているなんて、純粋に社会の損失ですしね。
ここからは自分なりにその原因を解析してみたいと思います。
得意なもの=自信スパイラル!
まずは、プロ野球選手になった4月生まれのAくんの例を挙げてみます。
- 野球を、何か面白そうだなと思って始めてみる
- 体格に恵まれていたAくん、入ったばかりの少年チームで4番を任され、野球の楽しさに夢中になる
- 周囲からもチヤホヤされて、どうしたらもっと上手くなるか、どうしたらもっと楽しくプレーできるかを四六時中考えるようになる
- 中学生になっても自慢のパワーで4番を務めていたAくんは、自分には野球の才能があると確信し、プロを目指すようになる
みなさんが今仕事にしていることだったり、好きでやっていることの多くは、得意なものから来ていることが多いのではないでしょうか?
かくいう僕もブログを書き始めたのは、昔から”作文で褒められたことが多かったから”なんです。
自分が好きだから得意になったのか、得意だから好きになったのか、自分でもよくわかりません、、、
苦手なものは、生まれた時期によってそう感じているだけかも⁈
逆に、運動が苦手な早生まれのBくんの例を挙げてみます。
- 野球を、何か面白そうだなと思って始めてみる
- 少年チームに入るも、4〜6月生まれの子と比べて体が小さく、どうしても運動能力で見劣りしてしまう
- レギュラーになれず、自分には野球が面白くないと感じ、段々とチームから足が遠のくようになる
- 中学生になり野球も殆どしなくなっていたBくんは、もう一度野球がしたいと部活に入るも、やはり体格の面で見劣りし、自分には野球の才能はないと感じ、完全に野球の道を諦める
多くのジャンルにおいては競争原理が存在し、それをたまたまそのコミュニティーの中で得意だった場合、自信が生まれ、それをすること自体が楽しくなってくるようになりやすい筈です。
スポーツの場合は特にそれが顕著で、明確に勝ち負けが存在するものなので、結果が出た時の楽しさ、出なかった時の悔しさは、他のジャンルに比べても大きな差が存在していると思います。
まとめ:自分が得意なものも苦手なものも、唯の思い込みかも⁈
僕たちは社会に出る時に、自分の何を売ってお金を稼ぐかを考えさせられます。
その時に出る得意なものとか苦手なものも、それまでのコミュニティーの中で上手く活用されなかっただけで、コミュニティーが違っていれば、全然違う結果になっていたのかもしれません。
その思い込みを解除する方法としては、、、
- 所属するコミュニティーを変えてみる
- 周囲の人に自分の長所を聞いて回る
1.のコミュニティーを変えるは、これまでいた場所とは全然違う場所に行ってみるのがいいかもしれません。そうすると、思ってもみなかった自分に会えるかも、、、?
2.の周囲の人に自分の長所を聞くはだいぶ勇気がいりますが、意外と自分の自画像と人の自分に対する見方って全然違うので、実際聞いてみると十中百九意外な答えが返ってくるでしょう。
才能なんて意外と思い込みかもよ‼︎
自分の夢や目標は、定期的に点検したほうがいいよ
こんにちは!ヒッキーです!
皆さんには夢や目標ってありますか?
社長になりたい、美女と付き合いたい、南極に行ってみたい、2次元の世界に行きたい・・・
普段意識しなくても、皆さん夢や目標の1つや2つ持っていると思います。
僕にも目標があって、会社で働きたくないとか、世界一周したいとか、モテたいとか、美女に膝枕されながら耳垢を取って欲しいとか、全部含めると数え切れないくらいあります。
昔作ったやりたいコトリストを今でもたまに見返すのですが、最近その度に、
あれ?自分のやりたい事ってこんなことだっけ?
と思うことがとても増えました。
それは、自分のやりたいコトに対する違和感というか、本当にこんなコトを自分は求めていたのか?というか、、、
そのリストを見てもあまりワクワクしない自分がそこにはいました。
人間は常に変わるものだから、夢がずっと一緒とは限らない
子供の頃は、よく夢を持てとか言われると思うのですが、そうして夢を持てた人ってどのくらいいるのでしょうか?
殆どいないと思いますし、その時何か夢を持った人も、数年経った時にそれを追い続けている人も殆どいないというのが正直な僕の感覚です。
人間の夢や目標って、小さいことから大きなことまで、常に変わり続けるものな筈です。
先週は絶対あそこの店に行ってみたい!と思っていたとしても、今週はその店のことは忘れてしまっていて、あっちの店に行きたい‼︎って思っていることなんてザラだと思います。
人間の自我なんてそんなにきちんとしたものではなくて、外からの影響を受けてすぐにころっと変わってしまうものだったりします。
やりたいコトリストの中から、変化した夢は書き換えてみよう!
もし皆さんの中にやりたいコトがあやふやになっている人がいたら、是非やりたいコトリストを作って、やりたいコトを可視化してみてください!
これは僕もやっている方法なのですが、そうするコトで自分の将来のイメージが持てて、日々の生活によりハリが出ると思います。
そして、何ヶ月か経った後、ふと思い出した時にそのリストを見返してみてください。
そうして、できたコトには丸をつけていけば、達成感が味わえる筈です!
そしてもう一つ、見返す中で、今これはあまりやりたくないな、、というコトも出てくると思います。
そういったものは思い切って、新しく出てきたやりたいコトに書き換えてみてください。
そうするコトで、リストを常に最新の自分の目標にアップデートして、現在地を確認しましょう!
まとめ
- 自分のやりたいコトを箇条書きで構わないのでひたすら書き出す。
- 何ヶ月か経ったらそのリストを見返して、できたコトに丸をつける。
- これはあまり興味がないな、、というものが出てきたら、それを消す。何か違う夢が出てきた場合には書き換えてもいい。
一番大事なものは、ずっと変わらないものの中にある
その作業を何回かやっていくと、すぐに変わるものがあると同時に、いつまでも変わらないものが存在するコトに気付くと思います。
それこそがあなたが一生懸けてでもやり遂げたいコトなのでしょう。
その夢たちを大事にしてやってください。
自分の気持ちをきちんと伝えるのって難しいよね、という話
こんにちは!ヒッキーです!
自分の気持ちをきちんと伝える事、出来ていますか?
内向型人間の僕には結構難しくて、いろいろと誤解されたりとか。。。
今日は「自分をきちんと伝える」という事について書いてみたいと思います。
自分の意見を言える人はとても少ない
日常生活で、常に自分の言いたい事を言えている人って殆どいないと思います。
特に日本においては、「自己主張する事は悪い事だ!」と教育されているので当然とも言えますよね。
積極的に表現はせずに、露骨な衝突を回避しながら人間関係を維持する。
決定的には対立せず、コミュニティーを維持するという点では、確かに優れたやり方だと思います。
しかし、その中で自分の意見、気持ちを相手にきちんと伝えられている人がどれだけいるのでしょうか?
僕は殆どいないんじゃないかなあ?と思っています。
人の気持ちを汲み取る事ができる日本人
とはいえ"積極的な自己主張を良しとしない"文化のおかげで、日本人はとても素晴らしい文化を持つようになったと思っています。
それは、
相手の表情や動きをよく観察して、相手の気持ちを読み取ろうとする力というんですかね、、、。
日本人の相手の気持ちを汲み取ろうとする力は、とても素晴らしいものだと思います。
普段相手が自己主張をしないぶん、相手の自己主張が薄くても気持ちを想像できるんですよね。
それは本当に誇っていいことだと思います。
自分の気持ちを言えない人の意見は表に出て来ない
でも、実際言いたいことを理解しているかと言われると、そうでもないだろうな〜とよく思います。
そもそも他人の気持ちを100%理解するなんて出来ないですよね?
日本人が他人の気持ちを汲み取れると言っても、やはり限界があります。
そして、何よりも問題なのは、
自分の気持ちが伝えられない人の意見は、結局なかったことにされてしまう
ということですね。
皆が空気を読みあうところのある日本社会では、自然に空気を壊さず自分の気持ちを伝えられる人の意見が通りやすい傾向にあります。
そこで自然に表現出来ない人は空気を壊す分避けられてしまうし、表現しなければ気持ちを汲み取られもしない、という状態になってしまいます。
こうなると辛いですよねー。
中には自分の気持ちを伝えるために、内に籠ってしまったり、暴力に頼ってしまう人も出てきます。
まとめ:気持ちよく過ごすためにも、自分を伝える手段を持とう!
僕も最近よく思うのですが、そうやって自分の気持ちを表現しないでいると、段々ストレスが溜まってきて、なんだかとても暗い気持ちになります。
ネガティブな想像しか出来なくなってくるし、目の前のことにも集中できなくなるというか、、、
そういった時にオススメしたいのが、ブログやSNSですね。
僕は対面のコミュニケーションが苦手な部分があるので、一人で落ち着いて自己表現が出来るブログはとっても有り難いです。
ぶっちゃけ救われている部分もありますですハイ(読んでくださっている皆さん本当にありがとうございますm(_ _)m)。
とにかく文章を書くなり絵を描くなり、なんでもいいので自分を伝える手段というのを意識して選ぶ、ということが大事なのかなと思っています。