【書評】「セックスボランティア」は障害者だけではなく、自身の性について考えさせられる名著
こんにちは!ヒッキーです。
皆さんは障害を持つ方々と触れ合うことってありますか?
僕は仕事上結構交流があるのですが、接し方に悩むことがすごく多かったんですよね。
そういうことを専門的に勉強したこともなかったので、少しでも手がかりになればと思って手に取ったのですが、人間について根本から考えさせられる名著だったのでブログで紹介したいと思います。
障害者が街を歩いているだけで「ご苦労様」とか言われる。心の中では「お前もだ」って思うけど。
脳性麻痺を持つ男性の言葉。
障害を持つ方はこういうことをよく言われるのかもしれません。
本人からすれば『何を言っているんだ?別に苦労じゃないのに』
という感じかもしれません。
ではなぜこういう的外れなことを言うのか?
それは障害を持つ人たちと触れ合う機会が少なく、知らないからこそ想像力が働かないのではないか?という気がします。
そういう意味では、社会全体に新しい仕組みが必要なのかもしれません。
彼らがどう生きたいか、自分で決めていくべきなんです。
知的障害者の人たちに性教育をすべきか?、というところから出てくる話なのですが、いわゆる健常者も障害者を自分たちと同じように捉え、必要な情報を与え、自分の人生は自分で決めてもらうようにしようということですね。
また、知的障害を持つ人たちを健常者と同じように捉えるということは、彼らの人生を考える時、そのまま健常者自身の人生を考えることにもつながります。
少し哲学的な要素も含まれますが、障害者の支援をしようという人は、自分自身の哲学を持つ必要があるのかもしれません。
愛と性欲を区別する必要なんてないんだ。恋愛感情は病気じゃないんだ。それを受け止めて、対処する方法は必ずあるはずだから。
- 障害者に対する性的介助は感情的トラブルが発生しやすいように思える
- 性的介助を受けた人が恋愛感情によって傷つくのは避けなければいけないのでは?
という著者の疑問に対しての言葉。
こういった疑問自体、先ほどの例と同じように「障害者は健常者と違う、保護されるべき存在」として区別しているから出てくるのかもしれません。
性は生きる根本だと思う。
ふ、ふかい・・・(そしてエロい・・・)
本の中で竹田さん(仮名)という障害者の方がこう語ります。
竹田さんは70歳を越えるおじいさんで、脳性麻痺を患い、体を自由に動かせないどころか、息をするのにも酸素ボンベを使っています。
そんな竹田さんが死の淵に立たされた時、最後に会いたいのは肉親でも友人でもなく、ソープの女の子だというのです。
人は死ぬまで性を手放すことはできないのか?
とても考えさせられる話です。
まとめ:障害があってもなくても根本は一緒。少しでも福祉に興味があったら是非読んでみて!
結局障害があろうがなかろうが、同じ人間なんですよね。
ですから、性に対する考えも健常者と同じで様々なんです。
そこでは健常者だから、障害者だから、という見方ではなく、ただ一人の人間として目の前の相手と向き合うことが必要なんです。
そして、性というものについてここまで考えさせられたのは初めてでした。
こういうように自分の中に新しい視点を作ってくれる本って貴重なんですよね!
間違いなく名著なので、少しでも福祉などに興味のある人は是非。
最後に、本書の中で一番心に残った一文で記事を終わりにしたいと思います。
”性とは、生まれた意味を確認する作業である。”